Ayu in Taiwan

台湾で生活しながら、日々の暮らし、旅行、そして中国語や心のことなど綴ってます。

今年、私を変えたもの1

聖誕快樂!
今年もクリスマスリースを作ることができました。満足。

昨日、今年最後のオンライン日曜朝活に参加した。
日曜朝活はたしか2021年くらいから始まった。
日本にいた時に一緒にやらせてもらっていた日中交流グループの主催をしている中国人の友人が、なかなかリアルで集まれないからということで始めてくれた活動だ。
中国語日記や暗唱をしてくれる人もいるし、中国語の質問をしたり、普段の勉強をちょっと発表するような場になっている。私のようにただ聞くだけの人もいるし、人数も多くて7人くらいのこじんまりした会だ。

実は最初の頃は少しめんどくさいなぁと思いながら参加していた。中国語という点ではそこまで大きな学びもないし、なんて。
でもこのオンラインでのつながりのおかげで本当に救われていると気が付いて、今ではこの会があることに感謝しかない。これがなかったら私はもっと病んでいたと思う。私と日中交流会のメンバーを定期的につないでくれて、今の自分の周りだけが私の世界ではないと思わせてくれる貴重な存在。
主催の友人はまだ子どもも小さくて大変だと思うし、毎週参加してくれてる他のメンバーも、そのおかげで成り立っている会だと思う。

その最後の朝活で、ちょっとわがままを言って広東語の長めの文章を音読させてもらった。普段は台湾近況報告みたいなことしかしてないのに。

ちゃんと見てみるとかなりいいテキストだと思う!
この本を買った当時の自分、偉い!

少し前から練習してたテキストの文章だけど、香港で買った本だったし、3日前くらいに発表を決めたから、少しドキドキした。
最初はまだそんなに緊張してなかったけど、読んでいるうちに更にドキドキしてきた。
でもこれは緊張だけじゃなくて、普段は一人っきりで練習している広東語を何人かの人に聞いてもらえているという興奮のドキドキでもあるなと思った。

今年の5月にDuolingoに広東語があることを知って、昔基礎の辺りで勉強をやめていた広東語を再開した。
Duolingoのゲーム性のおかげで毎日基礎的なものだけど勉強が続いて、そうしているうちに本当に少しずつ、気づかないくらいのスピードで進歩があって、ある段階から自分でも単語の発音が前よりできている感覚があり、単語も少し覚え始めていた。
それで広東語の勉強が楽しくなってきて、ついに香港で買ったけど全然見てもいなかったテキストを出して見てみた。
文法は中国語と共通点が多いので、元々そんなに違和感はなかったんだけど、文字の発音が全く違うせいですごく大きな違和感を感じてたんだけど、それが少し薄れていた。文法は似ているし、単語も共通なものも多いのに音が大きく違うってすごく違和感があって、それで全然頭に入ってこない感じだったのが、少しだけ広東語の回路も脳内にでき始めたような感じがする。

独学でここまでいくのってなかなか大変なことだ。事実、以前はあっという間に挫折した。だからDuolingoのシステムってすごく画期的なんだなと改めて思った。
バリエーションはそんなになくて(これは学ぶ言語にもよる)、同じことの繰り返しで、少し飽きてしまう部分もあったけど、それでもいろいろな仕掛けで毎日勉強しとこうかなという気にさせるってすごい!
(ゲーム能は怖いなとも思うけど笑)

広東語の勉強を通して、というかこれはどちらかというとマインドフルネスを知ったおかげかもしれないけど、語学の勉強って特に目的がなくても、やってる時楽しいっていうだけでやればいいんだなと気が付かされた。
「目的をちゃんと設定しないと途中で挫折しやすいから、その言語を学ぶ目的を明確にすべき」っていう話をよく聞く。そのせいで、先ずは目的を考えなきゃっていう思考に支配されて、目的がないとその言語を学んでもしかたないし、どうせ身につかないんだと思い込んでいたけど、そうじゃなかった。
もちろん必要があったり、目的がある人はそれをきちんと設定して勉強を始めればいいと思う。でも語学の勉強は、ただ「楽しそう、やってみたい」という気持ちで始めたっていいし、なんなら身に着ける必要もないし、途中でやめたっていい。その言語を学んでいるという行為そのものが楽しいならそれでいいんだと思った。
少なくとも私と語学の付き合い方はそれでいいんだと思っている。

自分と語学のスタンスを、こんなふうに考えられるようになってから、単語やフレーズがまったく覚えられなかったり、勉強できない日があっても焦らなくなった。
発音できなかった音が、少しでもそれっぽく発音できるようになったとか、初めての単語やフレーズに出会って新鮮に感じたとか、文法や言い回しが腑に落ちるとか、そういう学んでいる最中に感じる楽しみを積み重ねていけばいいかな。
そして、こういうことを書いていて再確認したんだけど、こういう学びがある時に楽しいなぁと感じる私は、やっぱり語学の勉強に向いているんだろうな。
この積み重ねの先に、その言語を使えるようになって使う機会がもしあったら、もっと楽しくなるんだろうなくらいの緩い感覚が私には合っている。