歴史は癒しだと気が付いた
学生時代、歴史が得意だったことはない。歴史に限らず社会科が全般的に苦手だった。
暗記は得意だったので、年号や地域や用語が覚えられないわけではなかったけど、当時の私はそれを全て点としてしか捉えてなかったから、意味のない呪文を覚えているようで、少しもおもしろくなかった。
社会の先生で好きな先生がいなかった、というのも大きいかもしれない。
時を経て、今は歴史ってすごくおもしろいだけでなく、歴史的な視点を持つことが、心の癒しにもなるということに気がついた。
歴史がおもしろいかもと思い始めたのは、台湾に来てからで、いろいろ勉強してもなかなか分からない台湾の複雑さにびっくりして、私って本当に何も知らないんだなと思ったのがきっかけだ...けど、年齢もとても関係あると思ってる。
今年の初め頃、下の息子が「コテンラジオ」っておもしろいよと教えてくれた。よく聞いているらしい。
コテンはCOTENという会社名であって、「古典」とは関係がないらしい。日本も含めて世界中のあらゆる歴史の話をしてくれるpodcastやSpotifyで聞けるラジオらしい。YouTubeでも見られる、らしい。
あれ?この人も歴史なんてこれっぽっちも興味がない人だったのにと思いながら、そして息子にはなぜか素直になれるというのも手伝って、そんなにおもしろいのか疑心暗鬼だったけど、聞いてみた。
これ言ったのが夫だったら、反発の方が大きくて聴かなかったかも、本当にごめん、夫。
結果、おもしろかった!
それも止められなくなるくらいに!
このラジオの本編でも番外編でも何度か語られてることでもあるんだけど、歴史を知ると視野が広くなって、俯瞰的に物事が見られる。
歴史を知ると今も昔も人間のしていること考え方には大差がないなと分かる。歴史って結局繰り返すよねとか、昔も今も人間って大差ないねって考えはしっくりくるし、事実そういう面もある。
でも同時に、私がコテンラジオから学んだのは、その時々でイデオロギーや人々のアイデンティティの在り方というものは全く異なっていて、現代も含めたどこかの時代のイデオロギーやアイデンティティで別の時代のそれを判断することにはなんの意味もないということだ。
つまり、今の自分の文脈で歴史上の出来事を判断してもわかることは少ない。難しくてもなるべく今の価値基準を持ち込まないようにして、その時代、その文化という文脈の中でどうだったのかという判断をするようにしなくてはいけない。
結局、現代に私たちが人間としてこれだけはやっちゃいけないとか、これだけはやらなきゃいけないって思っているような普遍的な倫理観だと思ってるものだって、ただの時代の文脈かもしれない。
なぜなら、歴史の中では全く違う倫理観で成り立ってる世界もあるから。
私の言語化の限界で、上手く自分の考えを書けてないとは思うけど、そんなことがわかった。
歴史を学ぶと、俯瞰的にいろんな視野が手に入るんだなと思った。
同じだけど違うというのは、今同じ時代を生きている人間同士もそうで、すごく似ている部分と、想像もつかないほど違う部分を併せ持っていると思う。
だから、自分だけ特別だと思うのも、みんな同じだと思うのも危険なのに、少し前の私はそれが全然できてなかった。自分にばかり焦点を当てて、誰にもわかってもらえないとか思いがちだった。
コテンラジオで歴史の話を聴いてると、その辺のバランスが取れていく気がする。それが気持ちいいし、そういう俯瞰的な視点を持てると煮詰まらなくて癒される。
そして不思議なことに歴史をもっと知りたいというだけではなく、様々なことが知りたくなってきた。現代に起きていることの大きなことから小さなことまで全て歴史につながっているし、それを知るっておもしろいなぁと思い始めた。