母のこと
日本に帰った時は行ける限り自分の実家に行く。普段なかなか帰れないから、当たり前だけど。
広くも新しくもない家だけど、物が少なくてきちんと整頓され、掃除されたすっきりした家に帰るとホッとするし、お母さんってすごいなぁと思う。
どうしてこんなに片付けられるんだろう?そしてどうしてこんなに要らない物をすっぱり捨てられるんだろう?
私も少しそういうところがあるけど、母の足元にも及ばない。
86歳という年齢を考えると更に稀有な気がする。
お年寄りってどちらかというといろんな物が捨てられない方が多いんじゃないかな?思い出があるからとか、もったいないからとか...。
そういえば、母は聞けば普通に話してくれるけど、自分から昔話はしないし、何か同じようなことを繰り返し言うこともなくて、そこもお年寄りっぽくないなぁと思う。
こういうことって繋がってると思うから、彼女はきっと今に興味があるから、昔のことや思い出の物にそんなにこだわりがないのかもしれない。
自分がどう生きるか以外は、自由でこだわりがなく、人をコントロールしようとしない人...たぶん母自身は自分がそんな生き方をしていることに気がついてないだろう。
10代の頃、こんな母の天然な部分が嫌でしかたなかった。他のお母さんみたいに、常識的でいろんな決まりごとを知っている、どこに出しても恥ずかしくない母親らしい母親だったら良かったのに!といつも思ってた。
どこに出しても?母親らしい?
私のほうがずっと年寄りくさい硬い頭で、世間体を気にしてたんだなぁ。
もし母がそういう母親だったら、私が今感じてるいいなぁと思う部分もなくなってしまうんだろう。母の天然なところとこだわりがないところは繋がっていて、もしどちらかを矯正すれば、どちらかもなくなってしまうだろうから。
大人になって、結婚して、子どもも生まれて、歳を取っていくほどに、母のこの性格のありがたみを強く感じるようになった。
いつも穏やかで、私たちのやり方を尊重してとやかく口を出さない、でも自分自信は常に向上させようとしている母に、今は尊敬しかない。
そういえば歳を取るほど、天然な部分も気にならなくなってきたのは、そういうことなのか?
母自身は昔から変わってないのに、私の母に対する見方がどんどん変わって、こんな気持ちになってるんだとしたら、もっと若い時に気がついて、母の生き方を見習えばよかった。
若い時の私は、自分で自分を世間という型に嵌めるのに必死だった。あんなに母に「なんでもしていいよ」というメッセージをもらいながら育てられていたのに。着物を着たまま自転車に飛び乗って買い物に出かけてしまうような母の自由な感覚に、どうしてあの時は気が付くことなく、非常識な母を恥ずかしいなんて思ってたんだろう?
遅かったけど、気がついてよかった。
あ、見た目はどこから見ても平凡で大人しそうな田舎の立派なお年寄りです。(人間を外見で判断してはいけないということも母から学ばなければいけなかったことなのかもしれない)