Ayu in Taiwan

台湾で生活しながら、日々の暮らし、旅行、そして中国語や心のことなど綴ってます。

在宅での一日

一日在宅でお仕事の日。

もともと一つだけ入っていたレッスンも生徒さんの発熱のためキャンセルになり、レッスンはゼロ、例文会議もなく、朝からひたすら宿題の添削をして一日が終わりました。

9時に仕事用のグーグルアカウントで添削する宿題を確認。その時は数も少ないし、いつも一番時間のかかるテキストの和訳の添削は1件だけだったので、余裕だなと思ったのですが…やり始めてみると意外とというか、案の定というか時間がかかりましたね。

新米中国語教師だから、しかたないですね😓

悩んでしまった部分があって、それは「到dào」を「まで」と訳すか「に/へ」と訳すか…たまたまその生徒さんはその課の中の全ての到を「まで」と訳していたんですが、なんでもかんでも「まで」はやっぱり違和感を感じます。

「スーパーまで卵を買いに行きます」「図書館までではなく、友だちの家まで行きます」こう言う時に「まで」を使われると引っかかります。

「まで」は起点から着点までのプロセスに注目している言い方だと思うので、例えば「MRTで○○駅まで行って、そこからは歩いて行く」とか「家から学校まで10キロある」とか、その間のことを言う時に使うなら違和感はないです。そして中国語の「到」はもちろんこの意味でも使えます。

でも、その場所に行って何かをする、行ってからのことに注目している場合は「へ」か「に」と訳すのがいいと思うんですよね。

私が中国語を教えている学校は、和訳してもらうことで、その生徒さんの中国語の理解度を推し量るという教え方をしています。ある程度は正しい日本語になっていないと、その生徒さんが中国語をちゃんと理解していない可能性もあるので、どのような日本語に訳すかも重要な要素です。でも、どこまでの日本語の使い分けが中国語を理解する上で重要かとか、そこまで日本語の細かいニュアンスが分からなくても、中国語の「到」が使いこなせれば、なんの問題もないんじゃないかとか、そんな重箱の隅をつつくようなこと言わなくてもいいかなとか...。

この仕事をしていていつも思うことがあります。私の仕事は中国語を教えることであって、日本語を教えることではないから、そんな細かい日本語の使い方や意味にこだわらなくてもいいんじゃないかということです。でも、一方で正しい日本語になっていないということはその中国語を正しく理解してないということかもしれないと思うと、どこまで厳密にすればいいか悩んでしまいます。そして、こちらも引っ掛かりポイントなんですが、自分の日本語にも自信が持てません。もちろん日本語ネイティブなので、ある程度は語感でカバーできますが、生徒さんの語感が正しく、そういう言い方もあるのに、私が知らないだけということだって大いにあると思うと、全く埒が明かない気分になります。

更には自分の中国語に対する理解も自信がないものもあり...

私がこのスタイルで中国語を教えるようになって、というより本格的に中国語を教えるようになってまだ日が浅いので、経験が足りなさすぎるというのはあると思います。中国語の学習歴だけは無駄に長いんですけどね。

それにして、こういう悩みは知識が付いていけば解決するものなんでしょうか?

早くもっと自信をもって添削したいし、レッスンしたいものです。