わかろうとしなくてもいいのかな?(映画『かもめ食堂』)
片桐はいりさんのエッセイ『わたしのマトカ』を読んだので、映画が見てみたくなり...。
2006年公開の作品。小林聡美さんが主演で、片桐はいりさんともたいまさこさんが脇を固めてて、群ようこさんが原作というだけで、なんとなく世界観がわかる、あの世界観の映画だ。
すごく大きな事件が起きるわけでも、大どんでん返しがあるわけでもなく、ただ淡々とした日常が描かれてるかのようで、でもよくよく考えれば、現実にはなかなか起こらないことが起こっていく映画だと思った。
中でももたいまさこさん演じる人物が一番不思議で理解しにくく、もしかするとすごく暗い過去があるのでは?と想像してしまったし、いい人なのか悪い人なのか…。
でも、人間ってみんないい人でもあるし、悪い人でもあるし、誰の過去でも自分のその人に対する固定観念から外れていればびっくりするものだと思う。
それはこの主演の3人、ひいては他の登場人物全員に多かれ少なかれ感じた。
相手のことを根掘り葉掘り聞くわけでも、自分のことをことさら説明するわけでもなく、淡々と少しずつ関係性を深めていく3人と周りのフィンランド人。
なんか人間関係そこまで深く考えなくても、相手をわかろうとか、わかってもらおうとか思わなくてもいいのかなと思った。少しずつ、わかる時もあれば、わからないままお互い忘れていく関係もある。
言わなくてもわかるとかそういうことではなくて、わかってなくてもいい。でも、共感もできるし、心が通じたように感じる瞬間もあって、その積み重ねが人間関係なのかな。
そもそも100%わかることなんてお互いないし、だからといって自分と他人は全然違う!なんてこともなくて、人間みんななにか似たものも持っている。
この3人は最初からそんなふうに達観できてる気がした。でも普通は…あるいは私は?頭ではわかっていても実際にはそんなふうにできない。相手のことをわかったと思いたいし、自分のことももっとわかってほしい・・・だから日常的なのに現実離れした展開に感じたんだろうか?
フィンランドに関しては、『わたしのマトカ』のほうがずっと行ってみたくなる!作品だった。映画では、共通点のようなもののほうを強く感じて、フィンランドが遠い国だというのを忘れていた。